子どもの頃は、山の上のほうに住んでいました。
とても不便なところで家から近くの店までは、200段近い階段を登り降りしなければならないところ。
別に車が通れる道はあったけど、やはり店までは歩いても大人でも30分ぐらいはかかる。
しょっちゅう出かけることができなかったので、店に売っている便利なもの、かわいいもの自体が、いろいろあるのを知らなかったんですね。
子どもの頃、いちばん手に入ったのは「時間」と「自然」。
やることがなければ、ボーっと空想したり、ひみつ基地をつくってみたりして、楽しんででいたっけ。
たぶん、欲しくなるようなものがお店に沢山ならんでいることを知っていたなら、それらを手に入れる方法を考えていたと思う。
知らないことばかりだった。そんなことも気づいていなかった。
こんなのあったらいいなというとき。できることと言えば、自分でつくるしかなかった自分の自由に考えて、使えそうな材料を見つけてきて作る。
本物を知らないから、へなちょこなものができても落ち込まない。
自分が作ったものに愛着がわいて、うれしい気分になる。
さすがに今はネットも使える時代でもあるし、大人になって自由にどこへでも行けるようになったので、買えるものは買ってます。
「ちよっと、こだわりたい」「ちょっと、ここをこしたい」なんてときは、迷わず作ったり、直したり。
そんな経験がいいんだかどうだか、今も思い通りの品が見つからないと、なんでも作れるって勝手に勘違いしてます。
自分のものだから上手にできなくったって、こだわりの条件が満たされればいいんです。
やってみると、わかることもありますしね。
あっ、そうそう、作るのが楽しくなると、材料の買いすぎには要注意!です。いろいろな種類の材料屋さんに行くと、ついつい余計に欲しくなっちゃうんですよね。
欲に負けなようにしなくっちゃ!
作ることの楽しみを感じることができている今の自分があるのは、そんな環境で過ごした体験があるからなのかなと。
ものが「たくさん、ない」という環境でも、自然に囲まれていたことはありがたかったことでした。
その辺にあるたくさんの自然の材料である葉っぱや木の枝、土、雑草、花などを使って、ごっこ遊びが楽しかった思い出があります。
その他にも動物や虫、青い空と流れる雲を眺めながら、心地よい風を感じて、考え事をするのも好きでした。
頭の中の考えを形にして「もの」を作っていくのは、楽しいものですよね。
自分が楽しむことが目的であれば、本来は誰かの評価など関係なく、その工程を楽しく感じることができればよいのだと思います。
仕事となると、もう少し別のことも考えなくてはならないことも出てきますけれどね。
基本は、同じです。
身近にはないけれど、こういうのあったらいいな!というものを作ってみると、自分の中で何かが変化していくんですよね。
頭の中でいくつかの使えそうな材料をイメージしたり、実際に組み合わせてみたりしながら、その思い描いたものを形に近づけていくんです。
1回で思い通りにできることは、あまりありません。
何度も気に入らない部分は修正しながら、完成させていくんですよね。(その辺りは、途中で投げ出したくなることもあります)
子どもの頃からは何十年も経っていても、その楽しさは続いています。
そういった体験は子どもの頃ではなくても、大丈夫です。
いくつになっても自分の体を使って体験した「楽しい経験」は、きっと人生を豊かにしてくれるのでしょうね。
ものを作ることに限らず、いくつになっても「やってみたい」と思う体験をしてみることは忘れずにいたいですね。
ものを作るのって楽しいですよ。
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